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やっぱり気合いです <strong>PART 1</strong>
beyond worker
 2013,07,29

やっぱり気合いです PART 1

−−−家電業界は大企業ばかりで、新しいものが生まれにくい土壌だったと思うのですが、アテハカが生まれた秘密は何だったのでしょうか?

気合いですよ。みなさんにその当時の僕たちの記憶を映画の『トータルリコール』のようにして見せたら、発狂寸前になると思いますよ。発表された製品とその後のブームだけを見て「すごいね」とか「ラッキーだったね」とよく言われましたが、僕たち当事者からすれば、ふざけんなと。そんな軽い気持ちや生半可な思いで生まれたものではないんです。アテハカの誕生物語や、その後リアルフリートという会社を作った経緯は、合宿でもして一晩中ぶっ通しじゃないと語れないと思います。きっとぞぞ毛が立ちますよ、裏にはこんなストーリーがあったのかと。専門的な話もありますが「嘘でしょ」という信じられない話がいくらでもあったし、それがないと成立しませんでした。

当時東芝の家電部門の新人社員で、現在はリアルフリートの社長である熊本氏との出会いがきっかけだったんですが、私が名古屋へDJとして行ったときに、彼がたまたま運転手をやっていたらしいんです。私は酔っていたからあまり覚えてなかったのですが。名刺を見ると東芝で、家電のデザインができないかとすぐに電話しました。熊本氏と話をして、すぐに「デザインされた家電を作りたい」と意気投合して、会社を動かすための戦略を練りはじめました。当時熊本氏の上司でその後リアルフリートの設立メンバーになる田部井氏と会って彼らの想いを聞いて。社内の承認を得るために、単身者向けの商品企画にして、若いクリエイターがデザインした方がいいと。企画書は電通の家電メーカー担当だった仲間に書いてもらいました。

今でも覚えていますが、2001年4月23日。東芝本社30階の会議室で企画のプレゼンをしました。当時大企業の事をよく知らなかったので、マンガ『課長 島耕作』を読んでイメージを膨らませて、よし行くぜと。会議室は円卓で、部屋のずっと向こうに部長がいるような感じで。最初に我々を紹介をするのは熊本氏、皆が彼の発表を涼しい顔をして見ていました。

まず「20年後の東芝はどうなるのか?」という大きなテーマを掲げて、資料の1ページ目に東芝が作った世界初の電気炊飯器のビジュアルをバーンと出した。「あの炊飯器を作った時のように、もう一度メーカーの原点に立ち返ってものづくりをしよう、量販店だけを最終ターゲットにするのではなく、メーカーとしての誇りを持ってものづくりをしよう」と呼びかけたんです。そして日本の器と料理と家電の関係を話をして。
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*引用元:「ニッポンはじめて物語」東芝自動式電気釜

予定の30分を大きく超えて1時間以上のプレゼンが終わると、部長が「感動した、すばらしい、よしやれ!」と。これで決まったと思って片付けをしていたら、部屋の中がザワザワしてきて、「部長が言った事、あれは本当か?」「ウソだろあんなの、社交辞令だろ」みたいなことを僕たちの目の前で言うんです。その後、数ヶ月間プロジェクトが動かずに、工場に乗り込んで説得したりして、ようやくその年の10月にプレスリリースを行って、2002年の2月にようやく販売できました。
>>『やっぱり気合いです Part 2』へ続く

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