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やっぱり気合いです <strong>PART 3</strong>
beyond worker 004
 2013,08,06

やっぱり気合いです PART 3

−−−人を動かす才能があったんですね。その時から既に経営者みたいな動きをしてますね(笑)。

そして、そのコンペが終わった後で、ボスから「コンペだからお金は出ない」と言われたんです。僕は志願したわけじゃない、それなら最初に言ってくれないかと。ボスだって聞いているんですよ、僕が食わせている若手芸人みたいな感じの無給のオープンデスクが「御飯ご馳走さまでした!」って言うのを。人の義理というものがあるんだったら、せめてコンペの作業代は出ないけど、ポケットマネーからオープンデスクのメシ代くらい出すのが人情だろうと。「そんな金も出す気が無いなら、おれ辞めます、というか最初からおれ雇われてなかったですよね?」と言って年末に辞めました。代わりに入りたいと言っていた後輩に私の席を譲りました。彼は5年間勤めたみたいですが。

僕はまだ働きたくなかったので建築学科が有名だったNYの大学に留学しようと、次の年の1995年にNYに行ったんですが、ちょうど現地に着いた日に阪神大震災が起きたんです。インド人の経営するデリでコロナビールを買っていると、そこのオヤジから「日本が大変なことになってるぞ」と言われて。あの映像を何の情報もなく見て衝撃を受けました。その後大学を見に行ったりもしたんですが、ちょうど地震で倒れた高速道路のような感じのグニャグニャした建築が当時流行っていて、それを見た瞬間に「これは自分にはダメだな」と、大学院に行くのをやめて日本に戻ってきたんです。

日本に戻って来て、親からも「お前どうするんだ」と言われ、当時プロとしてDJをやっていることも親には言っていなかったし、そろそろやばいなと。それで大学の先輩で仲の良かった遠藤と大堀に声をかけて「君らは今後どうするの?」みたいな話をして。「就職はしたくない、じゃあやっちゃうか!」とインテンショナリーズを設立するわけです。

二人に要望を聞くと「いいもの作りたい、それで評価されたい、経済的な評価もついてくる」ということ。アトリエは劣悪な環境だったので、それを考えようぜと夏くらいから準備を始めて、前に辞めた会社の上のフロアを借りると言う暴挙に出て「どうも! 今度会社を作ることにしました!」と挨拶をしたら、ボスから「鄭くん、絶対うまくいかないよ」と言われて。「やってやるぜ」と思いましたね。 
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<Fantasmatic Tour 1997 stage design>

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