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正解かどうかなんて、死ぬときまでわからない Part2
beyond worker 008
 2014,10,30

正解かどうかなんて、死ぬときまでわからない Part2

-独立してからの仕事の無い状況はどうやって抜け出していきましたか?

紆余曲折あったのですが、前職に関わっていた人が心配してくれて「知り合いの農家のおばちゃんや味噌屋さんが困ってるみたいだから話を聞いてあげてみてくれない?」と言ってくれたり、その時住んでいた家の大家さんが建築家だったんですが、「都市計画やってるんだけど手伝わない?」と誘ってもらったり。身近な人たちがぼくのことを見るに見かねて声を掛けてくれてなんとか食い繋いでいくことができました。
農家さんのところに行ったときには長靴を渡されて「さ、田んぼに入って」とか。味噌の作り方を教わったりとか、自然に近しいことや農業などの一次産業にはじめて触れたのも、思えばこの頃でした。
そこからの仕事も、一次産品のチラシをデザインして終わりではなく地域の集まりに参加したり、風土史を読み解いたり、学生の頃にやっていた文化人類学に近いフィールドワークだったりして、いわゆる“普通のデザイナー”の仕事というようなものではないけれど、必要とされていたし可能性もありました。そこから徐々にコミュニティに関わるものとか、自然エネルギーを使った都市計画や、今で言うソーシャルビジネスに近い領域のものになっていきました。自分で意識して方向付けしたわけではないのですが、そうやってなんとなく自分の仕事の方向性が決まっていきましたね。


【ヒラク君2】

-本当に何も無いところから、導かれるままに辿り着くべき場所に辿り着いたという印象ですね。そのままフリーランスとして独自の立ち位置で仕事を続けることもできたと思うのですが、その後、合同会社++(たすたす)を立ち上げたのはどういった経緯があったのでしょう?

フリーランスの時には自然エネルギーや地場産業に関わる仕事をしていたのですが、その頃、ちょうど東日本大震災があったんです。そこで一旦仕事がパタッと無くなったんですが、やがて「一緒に自然エネルギーや地場産業に関わる仕事をしたい」という話が来るようになりました。その中に、のちに合同会社++(たすたす)を一緒にやっていくメンバーもいて、話をしていく中で「これから、生態系と人間の営みが調和した社会を本気で作っていくことを考えたとき、個人事業主同士では社会に与える影響力が限定されてしまう。では組織化してプロジェクトをより発展させていきましょう」ということで、会社を作ることにしたんです。
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【合同会社たすたすの社員とオフィスのお隣の和菓子屋の旦那さん】

-「生態系と人間の営みが調和した社会を本気で作っていく」という理念がいいですよね。

フリーランスの時よりも仕事の領域をさらに絞ったことで、環境のこと、地域経済のこと、教育や学びに関わることくらいしか仕事は来なくなりましたけどね。そんな風にスタートした合同会社++(たすたす)でしたが、やがて自然発生的にふたつの大きなプロジェクトが出来てきました。ひとつは発酵。もうひとつは林業です。

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【手前味噌のうた】

-発酵と林業。どちらも食や自然に関わる一次産業に繋がりますね。

発酵については、ぼくが独立して一番最初に仕事をくれた山梨県の『五味醤油』という会社があるのですが、一緒に仕事をしていくうちに、「味噌のテーマソングを作ろう」というアイデアが出てきました。そして出来たのが『手前みそのうた』という、ゆるいアニメです。ここではぼくは企画とイラストとアニメを作りました。

-『手前みそのうた』は山梨県でスマッシュヒットしたそうですね。

山梨県北杜市の市役所の方に気に入っていただいて、保育園や小学校の食育プログラムに使ってもらったりしましたね。
『手前みそのうた』は味噌の作り方を歌詞にしていて、歌いながらそのまま味噌の作り方が学べるという歌です。昔から日本にあったそれぞれのおうちで手前みそを作るという発酵文化を復活できたらいいなという思いもありました。
振り付けもしたところ、NHKの番組『今日の料理』や『おはよう日本』でも取り上げられたり、最近では子どもたちと踊るワークショップが流行りだしているそうです。
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【手前味噌ダンス】

-一度聞いたら耳に残るメロディで、『手前みそのうた』から楽しい広がりが生まれていますね。

そうですね。実際に合同会社++(たすたす)でも、『手前みそのうた』を使った食育事業や、それをきっかけとして発酵食品のブランディングといった仕事も増えましたし、『山梨発酵物産展』という、山梨の発酵食品だけを集めた物産展のプロデュースも五味醤油の旦那さんとやりました。
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【甲州発酵物産展1】
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【甲州発酵物産展2】

-それは面白いです。もう人つのテーマ、林業のほうはどのようなものですか?

以前、ある工務店の仕事をしていた関係で東京にもわずかながら林業があることを知ったのですが、どんなものだろうと興味を持って、木材を製材する人たちのところに会いに行ったところ、初対面にも関わらず、「おれたちがいなくなったら東京の森は終わりだ!」と熱弁されたんです。
どういうことかというと、安価な輸入材に押されて昔の人が植えてくれた国産材が使われなくなってしまったことで、森も荒れ林業も衰退してしまったという現実に対して彼らは本気でなんとかしなくてはいけないという思いで取り組んでいたんですね。その思いに圧倒されました。
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【smallwoodtokyoを敷いた合同会社たすたすオフィス】

-強烈な出会いですね。

それから少しづつデザインや見せ方の部分で仕事としても関わるようになっていったんですが、やっていくうちに、上辺だけを作り変えても森や林業の危機を根本から解決することにはならないのでは?と感じて、これはもう自分たちで商品作りと販路作りからやるしかない!と。

-より深くコミットしていくことでリスクも背負うことになりそうですが、思い切った決断でしたね。具体的にはどのようなことを始めたんでしょう?

曲がり、短い、節ありなど価格のつきにくい材は通常、合板材やチップとして安価に取り引きされているのですが、こうした材を“SMALL WOOD”として価値を見出し、接着剤などを使うことのない無垢材として使ってもらうことで、森と林業に元気を吹き込もうという
プロジェクト『SMALL WOOD』をスタートさせました。
でも、一介のデザイン会社が小売業なんて始めてしまったものだから、受注発注管理とか、損益計算書とか、もう大変で。でも、大変ながらも「これを続けることで森が再生するのなら、やらないわけにいかない。それでぼくらの理念が体現できるなら」という思いでした。

【small wood tokyoの床貼りワークショップ】

-発酵にしても、林業にしても、本当に普通のデザイン会社とはまったく違う仕事の仕方をしていたんですね。こうして時系列を追ってお話を聞いていったうえで改めて振り返ってみると、やはり独立したあたりがターニングポイントだったように感じます。ヒラクくんが周りの大人たちに面白がられたのはなぜだったんでしょう?

やっぱり平日からブラブラしていて、ある程度コミュニケーションが取れそうな若者って、社会の中で貴重だと思うんです。最近は「独立したいんですけどどうしたらいいですか?」という相談をされることもあるんですが、そんなときは、まず一歩を踏み出せと言います。「一歩を踏み出してもし仕事が来ないとしても、“平日昼間からブラブラしている、なんかやる気はありそうな若者”っていうのは社会的には結構貴重なリソースだから、絶対なにかしら声はかかる。あとは仕事を丁寧にやれば、わらしべ長者モデルになることだってできる。だから大丈夫。」って答えています。

-ヒラクくんの場合は自分を売り込むような営業活動はしていないですよね?それでも声はかかりますか?

確かにぼくは営業ゼロです。全くしていません。
ぼくの場合は、仕事前提ではなく自分が興味を持っているところに訪ねていくことが多いです。実際に足を運ぶのは、いろいろな集まりの場所だったりするのですが、例えば地域の集まりに行けば、必ず商工会を束ねているおじちゃんがいます。そこで一緒に酒を飲んだりしていると「うちのとこデザインがダメなんだよ、お前やらないか」という話になったりとか。
農家の集まりなんかでもいいですよね。“農協に作物を卸してもお金にならないから自分で販路を作らなきゃ”という生産者に話を聞きに行ったらそこから仕事を依頼されたりすることもあるだろうし。
企業とかビジネスに特化した場所でなくても、そこからビジネスになっていくことって実はたくさんあって、今まで自分が知らなかった世界に足を踏み入れていくことが大事なのかなって思いますね。そういうところにビジネスの尻尾みたいものがあるわけですよ。それでぼくの場合はたまたまそういう場所に居合わせたんで、仕事になっていったっていうことだと思います。

【発酵テーマの企画で参加者に話すヒラクくん】

-そういうのはヒラクくんでなくても意図的に出来るものでしょうか?

大事なのは、自分がどこに行ったらいいかを自分よりも知ってそうな友達や知り合いに目処をつけることだと思います。
やはり自力で自分の仕事を作り出すことは、電通博報堂なんかの代理店にいて賞を取った経歴があるとかそういう人以外はなかなか難しいと思います。でも勘を働かせて、「この人は自分の仕事を作ってくれるかもしれないな」っていう人をリストアップして、その人に会いに行けるかどうかは結構ポイントじゃないかなと感じますね。

-でも、会いに行っても、そこで営業活動をするわけではないんですよね。

ぼくの場合はそこで人生相談みたいなことをするんです。「こういう仕事をしていきたいんだけど、ぶっちゃけどういう風に仕事をしたらいいか分からないんです。何がお金になるんですか?」って。そうすると、その人も相談に乗らざるを得ないし、結果として味方になってくれるんですよね。そこから「あそこの市でやっていた企画が若者もいなくて全然だめだったんだよな。ちょっとお前行ってこい」みたいなことが起きるんです。困ったら誰かのところに行って「どうしたらいいかわからないんです」って相談するのは延々やってましたね。

-営業ではなく相談するっていうのは面白いですね。

もう全部ぶっちゃけて、味方を作っちゃうんです。「困ってます~」って。

-そう聞くと誰でもできそうです。

ただ、ぼく自身はデザイナーだったっていう良さはありますよね。マネタイズの仕方がわかりやすいので。デザインという形でなにかしらのアウトプットを作って、それで対価をもらうっていうのが世間的にも認知されているから。

-アウトプットするスキルが無い場合は状況が違いますか?

違うと思いますけど、それも最近だと状況は変わってきたのではないでしょうか。ぼくが独立した5年くらい前って、コワーキングスペースも無かったですし、若者の雇用を育てるっていう考え方も無かったように思います。でも今はそういった場所や雰囲気もあるし、自治体の人たちにも「こいつらを食わせるようにしなきゃな」って思ってくれる人も増えてきたように感じます。ソーシャルビジネス的な考え方も出てきましたしね。
ぼくの場合はデザインというスキルが武器になりましたけど、今はその武器が無くても、一歩踏み出すためのステップはいい感じで用意されているんじゃないかなという気はします。

>>『正解かどうかなんて、死ぬときまでわからない Part 3』へ続く