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正解かどうかなんて、死ぬときまでわからない Part3
beyond worker 008
 2014,11,05

正解かどうかなんて、死ぬときまでわからない Part3

-学生が仕事と向き合うことになる就職活動についてはどう思いますか?

『あきゅらいず美養品』にいた頃に新卒採用を任されていて、すごくよく分かったことがあるんですけど、本当は企業からしてもすごくお金がかかるので就職活動の仕組みに乗りたくないんですよ。だって当時の話ですが、大手就職情報サイトに枠登録するだけで200~300万円もかかるんですよ?
だから企業側にとって一番嬉しいのは、電話で「新卒で募集してないですか?」って問い合わせが来る道場破りのようなやり方ですよね。とくに伸びている中小企業は慢性的に人手不足だったりするので、「今から行くので1時間だけください」って言われると、「こいつ、いいじゃん」みたいな話になるんですよね。就職情報サイトだったら面接に来てもらうまでのコストとして数十万円以上はかかるのに、お金を全くかけずに来てくれるんですからね。

-いろいろな場面で、固定概念から少し飛び出すことで可能性が広がりそうですね。

そうですね。ぼく自身が学生の時にバックパッカーをしていてホントに良かったなって思ったのは、固定概念が無くなったことですね。
例えば会社でドツボにはまった時にも「こうしている今も地球の裏側では、一日中五体投地(ごたいとうち)をしているイスラム教徒がいる…」と考えられると、俯瞰的に自分の状況を見れるんです。会社の上司やクライアントから、こうしなきゃいけないっていうプレッシャーを受ける場面でも、そういう発想ができるとめちゃくちゃ自由になれるんです。

※五体投地…両手、両膝、額を合わせた身体の五箇所を地面に付け伏し、仏や高僧に礼拝する宗教的な行為。

-全世界的に見たら自分の今いる環境や状況はけっして絶対ではないですもんね。

やっぱりいろいろなところを旅するっていうのは、そういう固定概念を外してくれたと思います。あとはそこからそれをどうやって仕事に応用するかですけどね。

-特にヒラクくんのように、アイデアの質と量が肝になるような仕事をしている場合、固定概念外しは重要でしょうね。

そう思います。固定概念のフレームに囚われているっていうことを意識化するテクニックも重要です。就職活動でも、“このやり方でやっていかないと次はありませんよ”っていうプラットフォームの仕組みがありますけど、そこにも“道場破り”のように、死角はいっぱいあるんです。
フレームに対して「本当か?裏は無いのか?別の可能性は無いのか?」と疑うことは大事ですね。ぼくにとってそう考えられるようになったきっかけが旅でした。

-よくわかります。ただ、旅することで「仕事したくない」という方向に行ったり、現実から目を背けてしまったり、いつまでも自分探ししてしまう人も多いですよね。

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【ワークショップの時の一枚。参加者にお味噌汁とおにぎりをふるまう】

-旅することは固定概念を外すことに有効だとは思いますが、つまりそれを仕事という実務に結び付けられていない人も多いように感じます。旅と仕事が隔離されているというか。

旅することで自我を強めてしまうと仕事には繋がりにくいでしょうね。大事なのは自分がやりたいことよりも、自分が求められることを優先することでしょうか。ぼくはこれを“来た玉打つ思考”って呼んでいるんですけど、「自分はこれができるはずだ」っていう思いよりも「お前はこれが出来るはずだ」と言ってくれる人の言葉を優先するんです。それがチャンスだと思うんです。あとはそれを全力で振り抜くんです。

-仕事は「人に価値を提供すること」ですから、求められることをやるというのは自然ですよね。

そうです。自分はこれができるはずだ、こういう才能があるはずだ、っていう見栄を全部捨てて身を晒していると、「これならお前にできるはずだ」と言ってくれる人がいるんです。そこらへんのチャンスって、意識して見回すと絶対どこかに転がっているものなんですよ。それをスルーしちゃうっていうのは、「求められていること」よりも「やりたいこと」を優先しちゃうからなんです。出会いに気づかないんです。

-ヒラクくんの場合は「来た玉打つ」の中にも、「世の中を良くする仕事しかしない」という理念があるわけですよね。

はい、でも、その理念を単純化すると、自分に嘘をつかないっていうだけなんですよね。環境を良くするための仕事をしたいけど、目先この仕事しないと食えないっていうものもやらない。それをどれだけ貫徹できるかだと思います。
理念を固めることでストライクゾーンはすごく狭まったけど、そこに来た球だけは必ずホームランにするというような。そもそもボールを投げてくれるピッチャーがいないとバッターは打てないですから。
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【自由大学では手前味噌学の講師を務めた。】

-あとはそれを続けることでしょうね。

ぼくは「自発的にこの仕事をしよう」と思ったことって一度も無くて、頼まれたものの中で自分がしっくり来たものだけ続けて、そうでないものはいつの間にか終わり、ということをずっとやっていく内に、結果的に自分らしくなっていったように思います。

-来た球を打ち返そうとして、空振りや打ち損じもありましたか?

もちろん、やってみることで成功することもあれば失敗することもあります。失敗したけど自分がその世界にハマってしまうこともある。結局、自分がしっくり来るものを打ち続けるとだんだん精度が上がってくるし、基本的には、来た球打って、来た球打って、だけでもいいんじゃないかなと思います。

-自分で意識しなくてもどんどん自分がいるべき場所、自分が気持ちいい場所に辿り着きそうです。

あとは正解を求めないってことも大事ですね。正解じゃないとしても自分が盛り上がってるからいいと思えればいいんです。
人は無駄なコストや失敗を出さない人生を目指そうとするんですけど、例えば事業を興して失敗して借金を背負う、なんていうことも含めて、それも人生の必要コストだと思います。
いいことも悪いことも楽しめるかどうか。そして、すでに選んでしまったことについて、後からそれがいい選択だったかどうかっていうことも考えなくていい。数ヶ月や数年で、それが正解だったかどうかなんて出せるものではないはずですよね?本当に自分が死ぬときまでわからないです。そうすると、生きている間は人生の選択が合っていても間違っていてもどっちでもいいっていうことになるんです。

理念という自己そのものを貫くことと、「自分のことは自分以外にこそわかってくれている人がいる」という謙虚さ。全く対極にあるものがそれぞれ高いレベルでバランスしているということがヒラクくんの際立つ個性となっている。
就職活動しかり、独立しかり、今まさに自分の可能性を拡大せんという瞬間においてさえ、狭いフレームの中に自らが数十年の人生で育んできた個性的な形を窮屈に押し込んでいくことが、一般的には安全な選択と言われる。
もちろん、まだ足腰のひ弱な状態で自立することにはリスクも伴う。間違いなく何度も転ぶだろう。きっと、それを失敗と呼ぶ人も現れる。しかし、ヒラクくんの言葉を借りればそこにさえ、正解も不正解もない。ただそのいっとき「転んだ」という事実があるだけだ。怪我の功名になることもあるだろうし、のちのちまで尾を引く致命傷になることだってある。だから答えは誰にもわからない。数年、あるいは数十年経った後に自分がどう捉えるかだけでしかない。
自分の居場所は進む先にあるだろうか。あるいは、よそに探すまでもなく、今いる場所こそが実は自分の居場所であるかもしれない。すべての可能性は、自分の中にこそある。

<完>